2010/11/22 明智光秀公ゆかりの地連絡協議会総会

題名:明智光秀公ゆかりの地連絡協議会総会  名前:澤源 2010/11/22(月) 17:56

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滋賀県大津市西教寺の明智光秀公顕彰会に伺うようになって15年になりますが、本日の「明智光秀公ゆかりの地連絡協議会」への入会のお誘いを頂きましたので、喜んでお付き合いする事として受諾して参りました。

但し、毎年の持ち回り総会に際して費用も掛かるため、観光協会との連携が必要ですし、美濃源氏フォ-ラムの明智光秀研究部会から独立されて自主運営をしている「瑞浪明智光秀顕彰会」が先に入会済みですので、違いを如何にするかが課題です。

美濃源氏フォ-ラムの明智光秀研究は、顕彰会副会長中島道子先生との繋がりできましたから、いずれにしても西教寺さんと顕彰会さんの意向を大切にして進めていけたらと思います。

尚、来年の開催は「福知山市」となりましたので、澤源が昨年パネルディスカッションに呼ばれましたし、今年の20周年には福知山市から明智光秀研究会の正副会長にお越し頂きましたから、盛大な5周年の「明智光秀公ゆかりの地連絡協議会総会」となるよう心掛け参ります。

2010/11/11 岐阜の岐の字シンポジウム

題名:岐阜の岐の字シンポジウム  名前:澤源 2010/11/11(木) 03:13
来月の12月5日(日)に岐阜市歴史博物館において開催する『岐阜の「岐」の字シンポジウム』への一般参加者が募集となりました。

定員が200名で、美濃源氏フォ-ラムの割り当て100名は正会員で申込完了しましたから、残りは岐阜市歴史博物館の枠が多少残っているようですから、今なら間に合うかもしれませんので電話されては如何でしょうか?
内容は下記の通りです*

松尾一氏「岐阜のアイデンティティ」
谷口研語氏「応仁の乱と美濃土岐氏」
岩村宗康氏「東陽英朝と岐陽・岐山・岐阜」
高木洋氏「斎藤道三から織田信長へ」
小和田哲男氏「信長の井ノ口から岐阜へ改称」

岐阜の地名は、織田信長が美濃に入るより約百年前に使われ始めましたが、応仁の乱を避けて美濃に来た貴族公家禅僧達が岐蘇川(現在の木曽川)の北側の陽辺りの良い土岐氏の守護所に逗留したことから、土岐氏を意識して岐陽・岐山・岐阜を使い始めた訳であり、既に岐阜市歴史博物館も我々のこの解釈を認めてくれましたから、図録でも記載されています。

とすれば、何故信長の側近であった沢彦禅師が井ノ口を岐陽・岐山・岐阜の中から改称し岐阜としたのか、この意味にも言及しなければなりません(最近では祟福寺にいた栢堂景森との説を横山住雄氏が発表しています)。

兎に角、織田信長が革新的に曲阜や岐山などから岐阜とした定説を覆し、新しい岐阜物語を目指しますので、是非とも御来場をお勧め致します。

尚、岐阜市歴史博物館の電話番号は下記の通りです* 0582650010

2010/09/28 井沢元彦講演会

題名:井沢元彦講演会  名前:澤源 2010/09/28(火) 07:56

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9月20日(月)に歴史作家井沢元彦氏に美濃源氏フォ-ラムへお越し頂き20周年記念事業「土岐氏桔梗紋の偉人達ー明智光秀・加藤清正・坂本龍馬」と題して講演頂きました。

但し、お昼頃に岐阜入りしバスツアーに合流し、土岐氏関連史跡を見学してからの講演でしたから、バスツアーに参加された方はビックリしがてら大喜びでした。

ましてや、斎藤道三と土岐頼芸が闘い美濃を土岐氏が追われた最後の舞台となった「大桑城(おおがじょう)」が山崩れでバスが登れず、代わりに光秀が生き延びて荒深小五郎として隠れ住んだ山県市でも美山町へ緊急事態で迂回した次第です。

ついては、井沢元彦氏の優しさは30分のミニ講演をバスの中でして頂いた事で、大桑城登りが出来ずに時間が余ったのを、見事に調整頂いたわけでして、参加者の喜びやご想像の通りです。

さて、本題の講演会ですが、鎌倉幕府を開いた源頼朝に室町幕府を開いた足利尊氏と同様に、清和源氏である明智光秀も同じく幕府を開くとしての朝廷への銀献上であり、本能寺の変以後の工作で征夷大将軍の宣下があってから3日の後に倒されたから三日天下と今でも言われている、と言う内容が骨子です。

2010/09/09 明智光秀公シンポジウム

題名:流石、明智光秀切手  名前:澤源 2010/09/09(木) 06:21

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20100907161648

9月18日に開催する「明智光秀公シンポジウム」の講演資料が明智憲三郎先生から昨日届きました。
「光秀の前半生」がテーマですから、出生地・明智城・仕官への経緯など、謎の前半生を講師と共に参加者が一緒になって考えるものですから、あなたのご参加もお待ちしています。

さて、その資料が送られてきた封筒には三枚の80円切手が貼られていましたが、何と「明智光秀切手」でした。
明智憲三郎先生が恐らく制作されたのでしょうが、昨年発刊され増刷りされている「本能寺の変、四二七年目の真実」と、光秀が治めた福知山市にあり光秀の御霊を祀る「御霊神社(ごりょうじんじゃ)」の二種類です。

丁度東濃の郵便局にて、来週の月曜日に発表し、14日の火曜日から「美濃源氏切手」が発売されますから、明智憲三郎先生の意気込みも、一緒に同封されていたようです。

2010/07/04 ざ・無礼講

題名:無礼講 第一報  名前:蘭台令史 2010/07/05(月) 12:55

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大盛況で終了いたしました。
順次掲載出来ると思います。

題名:無礼講 アルバム作成のお知らせ  名前:蘭台令史 2010/07/09(金) 16:13
20周年記念 無礼講
アルバムを作りました。
ご覧頂ければ幸いです。

http://gallery.nikon-image.com/137265977/albums/2026481/

パスワード欄に mizunami と入力して下さい。

2010/06/29 白山信仰と神仏習合

題名:白山信仰と神仏習合  名前:澤源 2010/06/29(火) 07:26
今週末の土曜日に、美濃源氏フォ-ラム土岐市講座がありますが、会場が変更になりました。
土岐市文化プラザから、瑞浪市本部事務局のあるホワイトスクエア(瑞浪駅北駐車場北入口)に変わりました。
そして、講座内容は変わりませんが、特にお勧めがあります。

白山長滝神社宮司若宮多門氏による「白山信仰と神仏習合」です。

明治に入り日本は神仏習合時代から、廃仏毀釈を経て神仏分離の時代となりました。
当たり前のように、檀家と氏子に分かれていて、各家庭に神棚と仏壇があり(勿論例外も多々ありますが)、お寺と神社が隣り合わせも、よく見かけます。
日本古来の山岳信仰の聖地の一つ白山、この神様と仏様の関わりについての講演であり、貴重なお話しですから皆様のご来場をお待ち申し上げます。
午後1時開場ですが、多治見から三名、春日井から一名、名古屋から一名、宗教団体から十名の事前登録があるほどですから、かなりの混雑が予想されますので、お早めにどうぞ。

2010/06/04 ざ・無礼講の指定席状況

題名:ざ・無礼講の指定席状況  名前:蘭台令史 2010/06/04(金) 10:50
6月4日の状況です。
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題名:ざ・無礼講 指定席の状況  名前:蘭台令史 2010/06/08(火) 15:40
6月8日現在の指定席の売れ行き状況です。
完遂率は73%になりました。
お早めにご予約下さい。
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題名:ざ・無礼講 指定席の状況  名前:蘭台令史 2010/06/10(木) 20:37
6月10日現在の指定席の売れ行き状況です。
指定席の77%になりました。
残りが少なくなりました。
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題名:ざ・無礼講 指定席の状況  名前:蘭台令史 2010/06/15(火) 20:12
6月15日現在の指定席の売れ行き状況です。
指定席は残数が33席となり、84%完了しました。

尚、本日の15日号の瑞浪市・土岐市・多治見市各広報誌にて
7月4日(日)のジャズライブ「ざ・無礼講」が紹介されましたし、
新聞もこれから発表となりますから、SOLDOUTが近づいてきましたね。
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題名:ざ・無礼講 指定席の状況  名前:蘭台令史 2010/06/22(火) 07:13
ざ・無礼講の指定席が完売しましたので、
後は自由席のみとなります。

瑞浪市総合文化センターの文化ホールは約800席でして、
階段席の三列目から後ろが自由席ですので、
4時半開場前に並んで頂けたら、
良い席もありますから、どうぞ宜しくお願いします。

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題名:ざ・無礼講 座席の状況  名前:蘭台令史 2010/06/26(土) 19:56
本日の文化センター自由席空き状況は、58席となりました。
既に、指定席が202席完売で、
自由席も100席の内で42席が終わりました。

さて、今回の第1部にでてくれる高校生吹奏楽部が
122名が演奏後に勉強がてら鑑賞しますし、
彼等の保護者が100名程自由席を購入して貰いましたし、
音響用に座席を24席使用しますから、
実行委員の皆様が手売りでご協力頂いております。

さて、300枚のチケットがどこまで達成出来たか、
6枚を売って特別指定席とリハーサルなどのお手伝いをして頂く実行委員のおかげです。

さぁ、ライブハウスや音楽関係店などを含めて実行委員が売切なら、
いよいよ自由席の残席は58席ですから、
プレミアムチケットに矢張りなりそうな気配となってきました。

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2010/05/25 「土岐英史ざ・無礼講」

題名:7月4日 「土岐英史ざ・無礼講」   名前:連絡係 2010/05/25(火) 23:54
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スペシャルゲストに日野皓正trumpetを迎えての
「土岐英史ざ・無礼講 」THE BREAK OUT」

土岐英史sax
日野皓正trumpet
秋田慎治piano
坂井紅介Bass
井上功一Drums

7月4日(日)午後4時30分開場
一部開演5時
二部開演7時
指定席前売券4千円(当日5千円)
自由席前売券3千円(当日4千円)

瑞浪市総合文化センター文化ホール

申込みは
美濃源氏フォ-ラム(0572ー68ー3143)
Eメールbureyko@basil.ocn.ne.jp

尚、チケット販売にリハーサル準備などを御協力頂ける実行委員を募集していますので、
希望者は美濃源氏フォ-ラムまでお問い合わせ下さいませ。

尚、実行委員の指定席を用意しますし、終演後の会費制の打ち上げにも参加出来ます。

2010/05/19 戸狩城巡りと健康ウォーキング開催

題名:戸狩城巡りと健康ウォーキング開催  名前:澤源 2010/05/19(水) 06:51

日曜日の16日は、戸狩城巡りと健康ウォーキングが開催され、総勢43名の方々が参加されました。
特に、当初事前の申込みが31名でしたので40部の資料を用意したのですが、当日12名が瑞浪駅に来られ急遽の参加となりましたので、資料をコンビニで追加コピーの大慌ての嬉しい悲鳴でした。

何よりだったのは、戸狩城の地元から「明世地区まちづくり協議会」の方々がみえましたし、瑞浪小学校の校長先生も来られ、美濃源氏フォ-ラムの会員とほぼ同数なのは、誠に企画者冥利に尽きるわけです。
戸狩城址は、瑞浪駅北にあり武田信玄の美濃攻めに際して民家から「戸」を借りて急こしらえとしたことからついた名称です。
1571年からの武田軍の東濃攻めで、土岐市の定林寺や瑞浪市の明白寺に桜堂薬師が燃やされてしましましたから、残念なことでした。
行程は、天台宗古刹制清来寺や荒神塚古墳に横穴古墳群と泥薬師に高松観音で、全長約8㌔でした。
これが契機となり、JR東海の爽やかウォーキングとなればと思います。

題名:土岐頼芸後裔のピアニスト深沢亮子さん

題名:土岐頼芸後裔のピアニスト深沢亮子さんです
名前:澤源 2010/04/24(土) 16:25

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「第16回関東土岐一族の集い」が東京であり、「明智光秀と坂本龍馬 ー四国に残った土岐一族」として、不肖澤源が講演しました。
また、懇親会では土岐頼芸後裔のピアニストである深沢亮子さんが20分間小品を初めとして演奏して頂きましたが、皆様にその音色をお届けできず残念です。
何はともあれ、深沢亮子さんの美貌と指先をご覧頂きましょう。
尚、間もなく瑞浪のホワイトスクエアにお呼びしたいと思っています。

2010/01/28 谷口研語「太平記」講座の内容決定

題名:谷口研語「太平記」講座の内容決定  名前:澤源 2010/01/28(木) 09:08

本日、谷口研語先生より今年度から新しく始める名古屋駅前講座と、揖斐大野講座での「太平記」講座の内容が発表になりました。
鎌倉時代と室町時代を繋ぐ、南北朝時代の合戦史である「太平記」を歴史研究者として解説されますので、太平記読み物語から読み解く史実を堪能頂けるものと思います。

また、愛知県史の中世史料編が数年前に発刊されましたが、その中の土岐氏に関する初見史料も大分あるため、新たな通史編のためにも尾張守護土岐頼康と康行の辺りにも研究体制の推進が求められるところです。
恐らく、5月開講の予定となりますので、先ずは演題を見てもらい、是非ともご参加の程宜しくお願い申し上げます。
尚、会場は名古屋駅前を予定しています。

谷口研語『太平記』講座
第1回 『太平記』とその時代
第2回 後醍醐天皇と楠木正成
第3回 六波羅・鎌倉の陥落
第4回 足利尊氏の事績と人物像
第5回 婆娑羅大名の群像
第6回 南朝方武将たちの戦死

題名:谷口研語「美濃古代中世歴史講座」演題決定 
名前:澤源 2010/01/29(金) 11:01

瑞浪市本部と岐阜長良事務局で開催する、
平成22年度谷口研語「美濃源氏古代中世歴史講座」の演題は下記の通りです。

第1回 中世の水田開発
第2回 日本の農業の転換点
第3回 荘園に生きる人々
第4回 初期武士団の血の結束
第5回 鎌倉幕府を支えた御家人
第6回 モンゴル襲来がもたらしたもの

4月から来年2月までの偶数月第一土曜日と日曜日ですので、お楽しみにお待ち下さい。
直、詳細は間も無く発表になります。

2010/01/20 桔梗紋の肖像

題名:肖像画  名前:浪花の桔梗丸 2010/01/20(水) 18:09

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今年の正月実家に行った時掛け軸をパソコンに残すため
何点かデジカメで写してきました中に肖像画のものがありました
賴直と書かれてますがうちの6代目でしょうか源朝臣とも書かれてますもっと古い人でしょうかご存知でしたらお教え下さい。
後甲冑は新倉敷近くのセントイン倉敷と言うホテルです。

 

題名:源朝臣頼直  名前:澤源 2010/01/28(木) 09:14

浪花の桔梗丸様
素晴らしい写真をご掲示くださりありがとうございました。
つきましては、桔梗紋をつけて頼直ですので、御貴殿は土岐氏一族の方でしょうか?

詳しいお話を、恐れ入りますが美濃源氏フォーラムの掲示板でも書き込んで頂けると幸いです。
特に、6代目との記述もありますので、備前岡山辺りの土岐氏についての情報は、こちらも持っておりますので。

題名:無題  名前:浪花の桔梗丸 2010/01/28(木) 21:44

澤源様ご無沙汰しております
掲示板新しくなりこちらに書き込んでしまいました
以前から時々書き込みさせて頂いてた賴一です
今回関西土岐一族の集いのご案内を実家の方に頂きお返事は
私の名前と住所でさせていただきました
2月中ごろから仕事で1週間ほど岐阜に滞在致します
時間があれば博物館の方にも行きたいと思っております
また色々情報などお教え頂ければありがたいです
宜しくお願いいたします。

題名:楽しみにお待ちいたします  名前:澤源 2010/01/29(金) 11:06

浪花の桔梗丸様
2月に岐阜へみえたら是非ご連絡下さいませ。
美濃源氏フォーラムのメールアドレスでお待ちします。

2009/12/26 大桑の知られていない伝承や遺跡

題名:情報提供します。  名前:快川国師 2009/12/26(土) 02:51
人がまだ大桑の知られていない伝承や遺跡など知っています。土岐氏に繋がると思います。

題名:情報提供を宜しくお願いします  名前:澤源 2009/12/30(水) 19:01
快川国師様
大桑城の全体像やら、大桑地域についても、私たちが全容を語れるほどのフィールドワークをしておりませんので、
美濃源氏フォーラムの掲示板にてご教授願えたら幸いです。

題名:おそらくは  名前:快川国師 2010/02/17(水) 13:35 No.42 操作
南泉寺の裏山のどこかに金の鶏が納められてるとおもいます。金色の鶏泣く泣く南泉寺

題名:裏山に  名前:快川国師 2010/02/17(水) 13:39 No.43 操作
南泉寺の裏山に洞窟があり、表向きは炭鉱のためのまんがん洞窟といわれてるがそうではありません。おそらくは…

題名:教えます  名前:快川国師 2010/02/17(水) 05:29
岐阜県山県市大桑の南泉寺にあってはならない巻物があります。岐阜県の歴史を覆してしまう内容が確かに記してあります。それで二十年前当時の住職が歴史が変わるのを恐れて寺の何処かに封印しました。内容はこれ以上言えません。僕は小さな頃から歩き調べ伝説、遺跡、独自に大桑を知り、人が入れない危ない獣道を�*阨烽「てきました。質問あれば出来るだけ教えます。

2009/12/23 岐阜県健康長寿財団主催による講座

題名:シルバーも土岐一族をお勉強  名前:澤源 2009/12/23(水) 07:34

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先週の金曜日、(財)岐阜県健康長寿財団主催による講座の一環として「シルバー大学土岐校」で土岐一族の話しをさせて頂きました。
土岐市内50名を含む約90名が聴講下さり、一時間半のお勉強をされました。

流石に、系図を使ったりした累代の歴史候は難しく、途中のパソコン使用でのパワーポイント解説には頭を抱える場面も ありましたが、前半20分の土岐一族の有名人などと、後半20分の桔梗紋の由来にバサラ大名と 無礼講の誕生に土岐明智光秀の事、そして岐阜県の「岐」の字が土岐氏の「岐」などには大きく反応されましたから、今後は当分このスタイルを続けてみようと思います。

因みに、謝礼を頂く事がありますが、決してお断りせずにそのまま受領し、経費以外は美濃源氏フォ-ラムの活動資金に寄付しています。
もしご要望があれば伺いますので宜しくお願いします、と言いつつPRで忝なし。
いずれにしても、講演後の感想とお住まいを一割程の方に聴いてみましたが、“難しかったけど面白かったわ”との声が殆どで、聴講者の感想にて報告と致します。

2009/11/30 関西土岐一族の集い

題名:関西土岐一族の集いが開催されました  名前:澤源 2009/11/30(月) 11:57

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29日の日曜日、大阪市内上本町にあるシェラトン都ホテル大阪にて11時30分から「関西土岐一族の集い」が行われました*
発起人6名による挨拶からスタートで、中でも代表が経緯について簡単に話されましたが、“澤源に唆された”と最大の大阪流のお褒めを頂いた次第です*

ついで、澤源の講話「土岐氏の誕生」を約40分皆さんに聴いて貰い、全員の記念写真を撮った後2時間の交流会でした*
参加者全員が2分~3分のスピーチをされましたが、特に和歌山県や愛媛県に香川県と鹿児島県などの出身者からの話が興味深く楽しみな展開になりそうです*

今回27名の参加がありましたが、今回は都合悪くも次回の案内希望者が40名以上ありましたから、来年以降も開催が楽しみになりました*
2時半に終了後は、階を移しての喫茶店で2次会に14名でしたが20代の女性も2名がお祖母ちゃんとお付き合い下さり、大体が年配者が多いのが常ですが、流石に華がありますし、発起人が揃い慰労会でもありました*
3次会の「和民」には6名が気勢を上げましたが、最近流行りの「大人のハイボール」が口直しで、会計を担当された「裕さんと純ちゃん」がやっと会計から解放のホッと一息が嬉しそう*
流石にホテルにチェックインしてから暫し休憩と思いきや、関西土岐一族の集いを仕切ったマイミクの「ちゅうたろう」さんが4次会にも出て下さいましたので、バーラウンジでありながら「山田錦」を熱燗で頂き4人が美濃源氏フォ-ラムの誕生秘話で大盛り上がりでした*
これで終わらず、梅田の夜に繰り出したのは東京から参加の「勝ちゃん臣ちゃん」ペアで、澤源と三人で居酒屋にて5次会となり、ビールの生中が290円(税別)はさすが大阪でんな~*

そして、11時を廻ったところで帰路につき始めましたが歩道橋でのライブ演奏に遭遇し、夜風が厳しい中での「門田純 」オリジナルソングの4曲を聴いて感動し、彼女のCDを一枚衝動買いでしたがアルコール無しの6次会は寒かったのであります*

当然冷えた体には、矢張り熱いラーメンを締めにせねばならず、何と7次会まで続いた「関西土岐一族の集い」でしたが、最後に残った中には関西人がみえず、東京ペアと澤源にて“困った困った”とラーメン屋の女性に言うと、彼女が直ぐに“困った困った、こまどり姉妹”と答えるのでで、ならばと“しまったしまった、と再び言うと当然に“しまったしまった、島倉千代子”と返えってくるので、“これが関西大阪でんなぁ~”と感動のオジサマ組でした*

さて、0時を廻わり12時間以上の素晴らしい一日であり、参加者の皆様のおかげと心から御礼申し上げます*

 

題名:Re: 関西土岐一族の集いが開催されました
名前:浪花の桔梗丸 2010/01/20(水) 17:25 No.32 操作

今回は近くで開催して頂けたのでぜひ参加したかったのですが
先に決まっていた仕事の都合で当日は岡山県に行っており残念でした、たまたまそのおり泊まった宿に展示しておりました土岐家由来の甲冑がありましたので写してきました、何かご縁があるのか解りませんが、また機会があれば集まりに参加させて頂きたいと思っております。
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2009/11/23 大桑城巡りと健康ウォーキング 

題名:大桑城巡りと健康ウォーキング  名前:澤源 2009/11/23(月) 07:37

22日の日曜日に「大桑城巡りと健康ウォーキング」が開催され、33名が参加されました。
山県市の四国山香り公園に集合し、南泉寺と四国堀と六萬墓とそして大桑城に山登りでした。
特に、南泉寺で開基した土岐頼純画像と土岐鷹絵と快川詔喜頂相を架けて頂きましたので、目の前で拝見できました。
そして大桑城です

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現在、城の麓から農道が出来ましたので車で登れますが、最後の40分が胸突き八丁になります。
と言っても、登山道として 整備されていますので、途中道は上り下りとバリエーションに 富んでもいます。

掲載写真は、山頂にあるミニ天守閣と北出丸と南側の眼下風景ですので、土岐頼芸になったつもりで感慨深く見て頂けたら幸いです。
特に、北出丸からは下への獣道が続いていますので、私が勝手に頼芸が道三に攻められた時に脱出した現場と推定しましたし、眼下の風景で遥か遠くに見える金華山ですから、頼芸も毎日臍を噛みながら“道三のバッキャロ-”と言っていたかもしれませんね。

そして、3時に解散後は伊自良にある甘南寺と仙洞寺を訪ねましたが、共に寺紋が桔梗でも土岐氏との関連が不明ですので、今回のご縁を頼りにお導きがあることを期待しご就職らに面会し解明に向けての協力をもお願いして帰路につきました。

題名:情報提供します。  名前:快川国師 2009/12/26(土) 02:51 No.30
人がまだ大桑の知られていない伝承や遺跡など知っています。土岐氏に繋がると思います。

2009/11/16 土岐頼貞の研究課題

題名:土岐頼貞の研究課題  名前:澤源 2009/11/16(月) 07:14

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愛知文教大学にて黒田彰子教授の講演が行われましたが、広島県尾道にある浄土寺で足利尊氏に土岐頼貞や土岐頼遠らの法楽連歌が奉納されている件で、詠み手の名前が源頼貞となっている事が不自然との指摘がありました。

35歳で出家しているはずなので、本来なら法名とした「存孝」を使わねばならず、出家した意味が深いものでなかったか、又は再び還俗したものか、今後の研究の方向性を指摘されました。

然し、ある系図では土岐頼貞は父と言われている光定の孫としているものもあり、面白いテーマを頂きました。

そして、尾道浄土寺の法楽和歌を研究している方に黒田先生の説を連絡したところ、尊氏達が京から九州に落ちた後に軍勢を建て直し尾道に上陸するに及び、ある資料では土岐頼貞は伊予から駆け付けた資料があるとのことですから、嫡男の頼清と一緒に援軍に入った事になり、兎に角これからも益々楽しくなりそうな美濃源氏フォ-ラムです。

2009/09/27 土岐邸洋館ミニチュア発見

題名:土岐邸洋館ミニチュア発見  名前:澤源 2009/09/27(日) 13:53

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美濃源氏フォーラム家系図研究部会長の桑原由忠さんから、昨日の大桑城散策後の帰路、見出しの「土岐邸のミニチュア」発見の話題を提供頂きました。
これは、現在群馬県沼田市の沼田城址に移築された、旧沼田藩主土岐邸の明治における建築様式が大変素晴らしく、何と愛知県犬山市の明治村にある「旧内閣文庫」にて3月に展示があり、桑原氏が写真に撮られました。
この洋館を造られた土岐章氏は、子爵となりパンのお殿様としても著名な方でしたが、日本の建築史に名を残すほどの洋館を残されたわけです。
10月18日~19日に日光と沼田へ廻りますので、そういう意味での洋館として再度見学してきたいと思います。

2009/09/22 揖斐城巡りと健康ウォーキング開催

題名:揖斐城巡りと健康ウォーキング開催  名前:澤源 2009/09/22(火) 04:20

ジャズライブを聴いた翌日の日曜日20日は、朝8時瑞浪出発にて10時開始の「揖斐城巡りと健康ウォーキング」でした。
もちろん揖斐城ですから、揖斐郡揖斐川町にありまして、土岐氏関連史跡です。

参加者38名が麓の三輪神社に集合してから、すぐ際の松林寺へ行き住職さんと総代さんから説明。
特に、境内隅には揖斐地区弓道場なるものがあり、流石に西尾光教の治水や人作りの鍛錬志向が垣間見えます。
この麓から登ること約20分で播隆上人が開いた一心寺がありますが、お彼岸に合わせて「地獄絵」を見せて頂きましたが、父母や先生などを殺めると地獄に墜ちる訳で、まともに直視出来ない地獄の風景です。
そこからマタマタ登ること約20分で揖斐城の本丸に着きますが、途中の道を始め城域などの草刈りを前日に揖斐大野事務局が行って頂きましたので、歩く道すがら刈ったばかりの草の香りが清々しく、ただただ敬服するばかりです。

山頂で昼食と説明で1時間半程取ってから、文学の小道を通り下山するわけですが、途中膝が笑ってしまい休み休みの急坂下りでした。
尚、文学の小道に因み俳句を募集しましたので、下記の二首澤源も投句してみました。

「山登り 癒やす木漏れ日 薄紅葉」
「名残蝉 聴き息吐ける 五十路山」

下りた直ぐ近くには揖斐川町歴史民俗資料館があり、体験してきた土岐頼清・土岐頼康・土岐頼雄などの歴史を中心として観覧したわけですが、特に美濃と伊予を結ぶ交通網として揖斐川の舟運に注目すべくマイミクの一様の御期待に応えたかったのですが、江戸期以降の解説が基本でしたので、課長代理に今後の更なる研究を要請して参りました。
その外、俳句の表彰式があり、澤源も一首入賞しました。

解散は予定通りで午後3時でしたが、ほとほと草臥れたのは澤源だけでして普段の運動不足を解消する、正に健康ウォーキングな訳です。
然し、この草臥れを少しでも解消しようと名古屋大須の餃子専門店と名駅前のカレー専門店に行き、ニンニクと激辛にて体に刺激を注入しましたが、同行の七十代の方々は運転手任せで仕方なくお付き合い下さる善人ばかりです。
尚、昨日は朝から夕方までに長風呂を二回とマッサージ機のお世話になりながら、何とか夜の彼岸寺参りが出来た次第です。

さぁ、後2日間は溜まっている書類の整理と、ジャズライブと山城巡りの2日間 を記事提出用原稿作りでありまして、10月連休がシルバーウィークの残りになりそうで~す。