守護所シンポジウムの内堀信雄さんと三宅唯美さんの資料を転載します。
- 東大の資料編纂所から土岐成頼の息子「妙守」が安国寺に入ったことをケミックの林正啓氏が見付けていましたが、更に「一華院」の記述も発見されました!
- 山県市の岩村宗康氏が東陽英朝語録「小林無孔笛」の安国寺に「一華主」の意味が不明とされていましたが、これで全てが揃いました!!
- 岐陽・岐山・岐阜を東陽英朝が使い始めた15世紀末には、八百津から池田まででの岐蘇川(木曽川)の北側の山脈が「岐山」であり、この地域が「岐陽」であることが確定!!!
- 私が学者なら、論文一本完成するのに、惜しいですが発表とします!!!!


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