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2010/01/20 桔梗紋の肖像

題名:肖像画  名前:浪花の桔梗丸 2010/01/20(水) 18:09

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今年の正月実家に行った時掛け軸をパソコンに残すため
何点かデジカメで写してきました中に肖像画のものがありました
賴直と書かれてますがうちの6代目でしょうか源朝臣とも書かれてますもっと古い人でしょうかご存知でしたらお教え下さい。
後甲冑は新倉敷近くのセントイン倉敷と言うホテルです。

 

題名:源朝臣頼直  名前:澤源 2010/01/28(木) 09:14

浪花の桔梗丸様
素晴らしい写真をご掲示くださりありがとうございました。
つきましては、桔梗紋をつけて頼直ですので、御貴殿は土岐氏一族の方でしょうか?

詳しいお話を、恐れ入りますが美濃源氏フォーラムの掲示板でも書き込んで頂けると幸いです。
特に、6代目との記述もありますので、備前岡山辺りの土岐氏についての情報は、こちらも持っておりますので。

題名:無題  名前:浪花の桔梗丸 2010/01/28(木) 21:44

澤源様ご無沙汰しております
掲示板新しくなりこちらに書き込んでしまいました
以前から時々書き込みさせて頂いてた賴一です
今回関西土岐一族の集いのご案内を実家の方に頂きお返事は
私の名前と住所でさせていただきました
2月中ごろから仕事で1週間ほど岐阜に滞在致します
時間があれば博物館の方にも行きたいと思っております
また色々情報などお教え頂ければありがたいです
宜しくお願いいたします。

題名:楽しみにお待ちいたします  名前:澤源 2010/01/29(金) 11:06

浪花の桔梗丸様
2月に岐阜へみえたら是非ご連絡下さいませ。
美濃源氏フォーラムのメールアドレスでお待ちします。

2009/12/26 大桑の知られていない伝承や遺跡

題名:情報提供します。  名前:快川国師 2009/12/26(土) 02:51
人がまだ大桑の知られていない伝承や遺跡など知っています。土岐氏に繋がると思います。

題名:情報提供を宜しくお願いします  名前:澤源 2009/12/30(水) 19:01
快川国師様
大桑城の全体像やら、大桑地域についても、私たちが全容を語れるほどのフィールドワークをしておりませんので、
美濃源氏フォーラムの掲示板にてご教授願えたら幸いです。

題名:おそらくは  名前:快川国師 2010/02/17(水) 13:35 No.42 操作
南泉寺の裏山のどこかに金の鶏が納められてるとおもいます。金色の鶏泣く泣く南泉寺

題名:裏山に  名前:快川国師 2010/02/17(水) 13:39 No.43 操作
南泉寺の裏山に洞窟があり、表向きは炭鉱のためのまんがん洞窟といわれてるがそうではありません。おそらくは…

題名:教えます  名前:快川国師 2010/02/17(水) 05:29
岐阜県山県市大桑の南泉寺にあってはならない巻物があります。岐阜県の歴史を覆してしまう内容が確かに記してあります。それで二十年前当時の住職が歴史が変わるのを恐れて寺の何処かに封印しました。内容はこれ以上言えません。僕は小さな頃から歩き調べ伝説、遺跡、独自に大桑を知り、人が入れない危ない獣道を�*阨烽「てきました。質問あれば出来るだけ教えます。

2009/12/23 岐阜県健康長寿財団主催による講座

題名:シルバーも土岐一族をお勉強  名前:澤源 2009/12/23(水) 07:34

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先週の金曜日、(財)岐阜県健康長寿財団主催による講座の一環として「シルバー大学土岐校」で土岐一族の話しをさせて頂きました。
土岐市内50名を含む約90名が聴講下さり、一時間半のお勉強をされました。

流石に、系図を使ったりした累代の歴史候は難しく、途中のパソコン使用でのパワーポイント解説には頭を抱える場面も ありましたが、前半20分の土岐一族の有名人などと、後半20分の桔梗紋の由来にバサラ大名と 無礼講の誕生に土岐明智光秀の事、そして岐阜県の「岐」の字が土岐氏の「岐」などには大きく反応されましたから、今後は当分このスタイルを続けてみようと思います。

因みに、謝礼を頂く事がありますが、決してお断りせずにそのまま受領し、経費以外は美濃源氏フォ-ラムの活動資金に寄付しています。
もしご要望があれば伺いますので宜しくお願いします、と言いつつPRで忝なし。
いずれにしても、講演後の感想とお住まいを一割程の方に聴いてみましたが、“難しかったけど面白かったわ”との声が殆どで、聴講者の感想にて報告と致します。

2009/11/30 関西土岐一族の集い

題名:関西土岐一族の集いが開催されました  名前:澤源 2009/11/30(月) 11:57

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29日の日曜日、大阪市内上本町にあるシェラトン都ホテル大阪にて11時30分から「関西土岐一族の集い」が行われました*
発起人6名による挨拶からスタートで、中でも代表が経緯について簡単に話されましたが、“澤源に唆された”と最大の大阪流のお褒めを頂いた次第です*

ついで、澤源の講話「土岐氏の誕生」を約40分皆さんに聴いて貰い、全員の記念写真を撮った後2時間の交流会でした*
参加者全員が2分~3分のスピーチをされましたが、特に和歌山県や愛媛県に香川県と鹿児島県などの出身者からの話が興味深く楽しみな展開になりそうです*

今回27名の参加がありましたが、今回は都合悪くも次回の案内希望者が40名以上ありましたから、来年以降も開催が楽しみになりました*
2時半に終了後は、階を移しての喫茶店で2次会に14名でしたが20代の女性も2名がお祖母ちゃんとお付き合い下さり、大体が年配者が多いのが常ですが、流石に華がありますし、発起人が揃い慰労会でもありました*
3次会の「和民」には6名が気勢を上げましたが、最近流行りの「大人のハイボール」が口直しで、会計を担当された「裕さんと純ちゃん」がやっと会計から解放のホッと一息が嬉しそう*
流石にホテルにチェックインしてから暫し休憩と思いきや、関西土岐一族の集いを仕切ったマイミクの「ちゅうたろう」さんが4次会にも出て下さいましたので、バーラウンジでありながら「山田錦」を熱燗で頂き4人が美濃源氏フォ-ラムの誕生秘話で大盛り上がりでした*
これで終わらず、梅田の夜に繰り出したのは東京から参加の「勝ちゃん臣ちゃん」ペアで、澤源と三人で居酒屋にて5次会となり、ビールの生中が290円(税別)はさすが大阪でんな~*

そして、11時を廻ったところで帰路につき始めましたが歩道橋でのライブ演奏に遭遇し、夜風が厳しい中での「門田純 」オリジナルソングの4曲を聴いて感動し、彼女のCDを一枚衝動買いでしたがアルコール無しの6次会は寒かったのであります*

当然冷えた体には、矢張り熱いラーメンを締めにせねばならず、何と7次会まで続いた「関西土岐一族の集い」でしたが、最後に残った中には関西人がみえず、東京ペアと澤源にて“困った困った”とラーメン屋の女性に言うと、彼女が直ぐに“困った困った、こまどり姉妹”と答えるのでで、ならばと“しまったしまった、と再び言うと当然に“しまったしまった、島倉千代子”と返えってくるので、“これが関西大阪でんなぁ~”と感動のオジサマ組でした*

さて、0時を廻わり12時間以上の素晴らしい一日であり、参加者の皆様のおかげと心から御礼申し上げます*

 

題名:Re: 関西土岐一族の集いが開催されました
名前:浪花の桔梗丸 2010/01/20(水) 17:25 No.32 操作

今回は近くで開催して頂けたのでぜひ参加したかったのですが
先に決まっていた仕事の都合で当日は岡山県に行っており残念でした、たまたまそのおり泊まった宿に展示しておりました土岐家由来の甲冑がありましたので写してきました、何かご縁があるのか解りませんが、また機会があれば集まりに参加させて頂きたいと思っております。
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2009/11/23 大桑城巡りと健康ウォーキング 

題名:大桑城巡りと健康ウォーキング  名前:澤源 2009/11/23(月) 07:37

22日の日曜日に「大桑城巡りと健康ウォーキング」が開催され、33名が参加されました。
山県市の四国山香り公園に集合し、南泉寺と四国堀と六萬墓とそして大桑城に山登りでした。
特に、南泉寺で開基した土岐頼純画像と土岐鷹絵と快川詔喜頂相を架けて頂きましたので、目の前で拝見できました。
そして大桑城です

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現在、城の麓から農道が出来ましたので車で登れますが、最後の40分が胸突き八丁になります。
と言っても、登山道として 整備されていますので、途中道は上り下りとバリエーションに 富んでもいます。

掲載写真は、山頂にあるミニ天守閣と北出丸と南側の眼下風景ですので、土岐頼芸になったつもりで感慨深く見て頂けたら幸いです。
特に、北出丸からは下への獣道が続いていますので、私が勝手に頼芸が道三に攻められた時に脱出した現場と推定しましたし、眼下の風景で遥か遠くに見える金華山ですから、頼芸も毎日臍を噛みながら“道三のバッキャロ-”と言っていたかもしれませんね。

そして、3時に解散後は伊自良にある甘南寺と仙洞寺を訪ねましたが、共に寺紋が桔梗でも土岐氏との関連が不明ですので、今回のご縁を頼りにお導きがあることを期待しご就職らに面会し解明に向けての協力をもお願いして帰路につきました。

題名:情報提供します。  名前:快川国師 2009/12/26(土) 02:51 No.30
人がまだ大桑の知られていない伝承や遺跡など知っています。土岐氏に繋がると思います。

2009/11/16 土岐頼貞の研究課題

題名:土岐頼貞の研究課題  名前:澤源 2009/11/16(月) 07:14

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愛知文教大学にて黒田彰子教授の講演が行われましたが、広島県尾道にある浄土寺で足利尊氏に土岐頼貞や土岐頼遠らの法楽連歌が奉納されている件で、詠み手の名前が源頼貞となっている事が不自然との指摘がありました。

35歳で出家しているはずなので、本来なら法名とした「存孝」を使わねばならず、出家した意味が深いものでなかったか、又は再び還俗したものか、今後の研究の方向性を指摘されました。

然し、ある系図では土岐頼貞は父と言われている光定の孫としているものもあり、面白いテーマを頂きました。

そして、尾道浄土寺の法楽和歌を研究している方に黒田先生の説を連絡したところ、尊氏達が京から九州に落ちた後に軍勢を建て直し尾道に上陸するに及び、ある資料では土岐頼貞は伊予から駆け付けた資料があるとのことですから、嫡男の頼清と一緒に援軍に入った事になり、兎に角これからも益々楽しくなりそうな美濃源氏フォ-ラムです。

2009/09/27 土岐邸洋館ミニチュア発見

題名:土岐邸洋館ミニチュア発見  名前:澤源 2009/09/27(日) 13:53

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美濃源氏フォーラム家系図研究部会長の桑原由忠さんから、昨日の大桑城散策後の帰路、見出しの「土岐邸のミニチュア」発見の話題を提供頂きました。
これは、現在群馬県沼田市の沼田城址に移築された、旧沼田藩主土岐邸の明治における建築様式が大変素晴らしく、何と愛知県犬山市の明治村にある「旧内閣文庫」にて3月に展示があり、桑原氏が写真に撮られました。
この洋館を造られた土岐章氏は、子爵となりパンのお殿様としても著名な方でしたが、日本の建築史に名を残すほどの洋館を残されたわけです。
10月18日~19日に日光と沼田へ廻りますので、そういう意味での洋館として再度見学してきたいと思います。

2009/09/22 揖斐城巡りと健康ウォーキング開催

題名:揖斐城巡りと健康ウォーキング開催  名前:澤源 2009/09/22(火) 04:20

ジャズライブを聴いた翌日の日曜日20日は、朝8時瑞浪出発にて10時開始の「揖斐城巡りと健康ウォーキング」でした。
もちろん揖斐城ですから、揖斐郡揖斐川町にありまして、土岐氏関連史跡です。

参加者38名が麓の三輪神社に集合してから、すぐ際の松林寺へ行き住職さんと総代さんから説明。
特に、境内隅には揖斐地区弓道場なるものがあり、流石に西尾光教の治水や人作りの鍛錬志向が垣間見えます。
この麓から登ること約20分で播隆上人が開いた一心寺がありますが、お彼岸に合わせて「地獄絵」を見せて頂きましたが、父母や先生などを殺めると地獄に墜ちる訳で、まともに直視出来ない地獄の風景です。
そこからマタマタ登ること約20分で揖斐城の本丸に着きますが、途中の道を始め城域などの草刈りを前日に揖斐大野事務局が行って頂きましたので、歩く道すがら刈ったばかりの草の香りが清々しく、ただただ敬服するばかりです。

山頂で昼食と説明で1時間半程取ってから、文学の小道を通り下山するわけですが、途中膝が笑ってしまい休み休みの急坂下りでした。
尚、文学の小道に因み俳句を募集しましたので、下記の二首澤源も投句してみました。

「山登り 癒やす木漏れ日 薄紅葉」
「名残蝉 聴き息吐ける 五十路山」

下りた直ぐ近くには揖斐川町歴史民俗資料館があり、体験してきた土岐頼清・土岐頼康・土岐頼雄などの歴史を中心として観覧したわけですが、特に美濃と伊予を結ぶ交通網として揖斐川の舟運に注目すべくマイミクの一様の御期待に応えたかったのですが、江戸期以降の解説が基本でしたので、課長代理に今後の更なる研究を要請して参りました。
その外、俳句の表彰式があり、澤源も一首入賞しました。

解散は予定通りで午後3時でしたが、ほとほと草臥れたのは澤源だけでして普段の運動不足を解消する、正に健康ウォーキングな訳です。
然し、この草臥れを少しでも解消しようと名古屋大須の餃子専門店と名駅前のカレー専門店に行き、ニンニクと激辛にて体に刺激を注入しましたが、同行の七十代の方々は運転手任せで仕方なくお付き合い下さる善人ばかりです。
尚、昨日は朝から夕方までに長風呂を二回とマッサージ機のお世話になりながら、何とか夜の彼岸寺参りが出来た次第です。

さぁ、後2日間は溜まっている書類の整理と、ジャズライブと山城巡りの2日間 を記事提出用原稿作りでありまして、10月連休がシルバーウィークの残りになりそうで~す。

2009/09/19 ざ・無礼講 ライブレポート

題名:「土岐英史THE BREKEOUTざ・無礼講」華麗な一夜 
名前:澤源 2009/09/20(日) 07:24 No.21 操作

昨晩の土曜日19日7時から、「「土岐英史THE BREKEOUTざ・無礼講」の華麗な一夜が無事に終演しました*
参加者の約70名の方々が、ジャズライブの音色に心を踊らせ、あっという間の二時間半でした*
元々、土岐英史さんを是非とも土岐氏発祥地にお呼びしたいとして始まった企画ですが、メンバーは土岐さんにお任せですし、「ざ・無礼講」に合わせてのプレイですから、わざわざ神戸や東京から来て頂きますし、終了が深夜になりますから、当然名古屋泊まりともなります。*

今回は、新進気鋭若手の伸び盛り市原ひかりのトランペットと矢頭亜沙巳のピアノに昨年に引き続き中堅テクニカル倉田大輔のドラムと重鎮岡田勉のウッドベースでしたが、コーディネーター土岐英史の哀愁溢れるアルトサックスが全てを引き回し、感動のライブとなりました。*
お客様の中には、千葉県からみえた方もあり、「ジャズライブは初めてでしたが、何故か涙が出るのが止まらなかった」との御夫婦揃ってのコメントを紹介させて頂きます。*
この事業には、(株)井澤商店にも後援をお願いしており、社長がプレイヤーとの打ち上げでは、御礼の締めの言葉を述べました。*
毎年、少しずつですが土岐氏発祥地において、土岐英史のジャズライブを通して、美濃源氏土岐一族の歴史と文化が伝わることが、そして本当に音楽の素晴らしさを体感して頂ける事が出来、一番嬉しいのはプロデュース出来スタンドポジションから音あわせからリハーサルを通して、完璧なライブに立ち会える、澤源なのかもしれませんね。*
さあ、来年も9月19日は日曜日ですので、土岐英史さんに早速オファーをしなければ*

題名:ライブレポート  名前:TOAST加藤 2009/09/20(日) 19:26 No.22

ベース岡田勉サイトの管理人です。お邪魔します。昨日のライブ、大成功でしたね。色々とお気遣い、ありがとうございました。
ライブの模様を写した写真、数枚ですがアップしました。こちらにお越しの皆様にも、ご覧いただけたらうれしいです。どうぞお楽しみください。

http://www.ben-okada.com/message.html#m20090920

TOAST(Tsutomu Okada Active Supporting Team)加藤

題名:Re: 「土岐英史THE BREKEOUTざ・無礼講」華麗な一夜 
名前:澤源 2009/09/21(月) 04:34

岡田勉サポートチームの加藤さんとお会いするのは、今回二回目でした。
3時の入りから、11時半の帰りまで、名前の通りにシッカリサポートされ、写真の記録からホームページの更新などへ誠にご苦労様でした。

2009/09/06 土岐栗山氏の系図1

題名:土岐栗山氏の系図拝見!!  名前:澤源 2009/09/06(日) 07:17

昨日の土岐市講座に新会員になった岡崎市の栗山さんも参加され、系図を持参頂きましたので全て終了後に残っていた運営委員達で拝見致しました。瑞穂市祖父江に土着する前から、帰農してから現在に至るまでの記述が大変参考になりました。詳細は後日頂く事になりますが、栗山氏研究には欠かせないものでしょう!尚、盛頼部分の記述もmino阿弥さんが見たいだろうとつけておきました。

2009/08/13 土岐英史 THE BRAKEOUT ライブ 

題名:土岐英史 THE BRAKEOUT ライブ
名前:執事 2009/08/13(木) 14:38

ざ・無礼講 土岐英史 THE BRAKEOUT ライブ

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美濃源氏土岐氏一族の歴史と文化をジャズで体感
七百年ぶりの悲願が、今宵一夜だけ実現します

日    時 : 9月19日(土)open:6pm start:7pm
場    所 : ホワイトスクエア2F癒しの間(井澤商店内)
入 場 券 : 前売3000円 当日3500円 1drink付
申  込   : 美濃源氏フォーラム事務局
岐阜県瑞浪市寺河戸町1238‐2
T E L (0572)68-3143
eメール breyko@basil.ocn.ne.jp

土岐   英史氏  sax   http://cd-v.net/toki/
矢藤亜沙巳氏  p     http://blog.goo.ne.jp/yasama-pf
岡田   勉氏  b     http://www.ben-okada.com/index.html
倉田  大輔氏  ds    http://kuratajazz.com/index.html
市原 ひかり氏  tp    http://www.hikari-ichihara.com/top.html

2009/08/09 第19回美濃源氏フォーラム大盛況

題名:第19回美濃源氏フォーラム大盛況  名前:澤源 2009/08/09(日) 04:57

昨日、第19回美濃源氏フォーラムが大盛況で終了しました。

講師の明智憲三郎氏は朝一番に横浜を出られ、10時半から12時迄土岐氏発祥地の史跡巡りを澤源が案内し、昼食は瑞浪名物の駅前加登屋食堂の「あんかけカツ丼」を食べて貰いました。

午後1時から開場でしたが、少し前から予約者が並ばれる程で、2時の開演には会場満杯の人で溢れかえりました。

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千葉県千葉市や長野県松本市に静岡県静岡市が御遠方からの方々で、当然岐阜県内の西濃や岐阜地区に飛騨や中濃と、そして東濃は中津川に恵那に土岐市多治見も満遍なくみえましたし、瑞浪市内も全域からの参加でした。

内容は、今後の講演を楽しみにされたり、又著作を読まれる方もありますから簡単に紹介します。

ポイントは、明智光秀が美濃源氏土岐氏一族であり、信長の近親者における日本国土の統治支配と部下達の排除の予兆が根底にあったこと。

そして、信長が松永弾定や荒木村重等にに続き、家康と長宗我部元親の排除に動き出していたこと。

然し、光秀は家康討伐をせずに逆に信長討伐をし、この秘密を知り得た秀吉と家康と細川が「観ざる聴かざる言わざる」を投し続けた事が、徳川氏支配の体制下で、名門土岐氏の復活や春日局の登用に、そして春日局に養育された徳川家光による日光東照宮に現れている、と言うものでした。

二時間があっという間に過ぎましたが、この真実を裏付ける資料をどの様に見つけ、そして解釈するかと言う「歴史捜査」の裏側を、資料八枚を駆使しての証拠固めでしたので、来場者には大変感激して帰路について頂いたものと思います。

講演終了後に明智先生を囲み食事会をしましたが、これまた瑞浪名物の鳥安の「鳥のすき焼き」を愉しんで頂きました。

ゲストに遠方からの参加者にお声掛けしましたら皆さん是非とも参加したいとの事で、総勢12名で明智光秀公談義に花を咲かせた次第です。

最後は、「美濃源氏花火大会」を観て貰いましたが、打ち上げが間近に見える土岐川堤防に茣蓙を敷いて陣取り、一時間の天空華色ショーを悦んで頂けたようでした。

さあ、今日は土岐市内の土岐氏史跡巡りにお連れしますが、特に明智光秀公の系統である土岐妻木氏関係を廻ります。

又、何とか可児市の長山城と天龍寺が見たいとの事ですので、名古屋で予定されている時刻にはギリギリの行程になりそうです。

そして、今日まで美濃源氏七夕まつりが続きますが、美濃源氏の名前を冠にしたメインイベントが、歴史性を持って知的に継続してこそ、正に先祖供養の「おまつり」ですので、来年いよいよ20周年を迎えますが楽しみにお待ち下さいませ。

尚、滋賀県大津市西教寺にあります「明智光秀公顕彰会」より美濃源氏フォーラムが瑞浪支部を拝命しましたので、全国の光秀ゆかりの地と連携し進めて参りますし、光秀公を大河ドラマにする運動が始まっておりますので、署名活動も昨日の参加者にご同意頂きましたし、中には用紙を持ち帰って頂いた方もありました。

美濃源氏フォーラムへのメールでも受付しますので、是非ホームページからお願いします。

2009/07/28 美濃源氏フォーラム歴史講演会 

題名:8月8日 美濃源氏フォーラム歴史講演会
名前:澤源の執事 2009/07/28(火) 08:22

案内ポスターが出来上がりました。16

今年の美濃源氏七夕まつりは記念の第50回を迎えます。

ついては、美濃源氏フォーラムの開催から名称変更になり18回目の夏祭りです。

今年の美濃源氏フォーラムは、明智光秀の本能寺の変をとりあげ、下記の日程で講演会を開催いたしますが、年頭初有料で予定しましたが講師のご好意で無料のご招待100名とさせて頂きますので、先着で締め切りと致します


事業名 : 第19回美濃源氏フォーラム歴史講演会
日 時 : 平成21年8月8日(土)13時開場14時開演
講師名 : 明智憲三郎氏(明智光秀後裔)
演 題 : 本能寺の変、四二七年目の真実
場 所 : 瑞浪総合文化センター3F講堂
募集数 : 先着100名
その他 : 美濃源氏フォーラムの正会員は別枠優先となっています

講演次第
1.なぜ私は真実にたどり着けたか
2.誰が通説を作ったか
3.光秀は信長を怨んでいたか
4.謀反の動機は何か
5.なぜ謀反に踏み切れたのか
6.なぜ謀反は成功したか
7.なぜ謀反は失敗したか
8.後日譚
付録 1.用語解説
付録 2.光秀の前半生
付録 3.本能寺の変前後の動き
付録 4.本能寺の変直前の勢力図

今日からインターネットにて公開しましたが、
明日からは新聞折込や新聞記事に広報紙などでも告知されます
以上

2009/07/27 青森土岐会の記事

題名:青森土岐会の記事が出ていました  名前:澤源 2009/07/27(月) 09:47

青森県の地方紙「東奥日報」5月29日(金)の朝刊の記事を抜粋

県内に住む「土岐」という姓の人たちで結成する「県土岐会」の会合がこれほど、黒石市のちとせ会館で開かれ、県内各地から集まった約十人が、自分たちの姓のルーツについて語り合った。
同会は二〇〇二年に結成、これまでに各地の土岐一族のルールを研究し合い、三回会合を開いてその成果を報告してきた。同会によると県内には土岐を名乗る家が三百五十軒ほどあり、そのうち約四十人が会に参加している。
今回は、五所川原市野里地区に住む土岐一族のルーツについて発表された。代々伝わる家系図を基に。同一族は上州(群馬県)沼田藩の初代藩主につながることが報告された。以下続く・・・

とあり、五所川原野里地区はまさに私の実家ですから、自分たちのことを指してることに間違いないし、今回は実は私の父も参加していました(笑)。新聞の写真の一番左側がうちの父です。因みに実家の向かいにお住いの一族やうちの本家の方も今回は参加してます。
興味のある方は幹事の土岐忠榮さんへだそうです。

私も詳しい事は知らないが、ようやく出所の光が見えてきた気がします。まあ、細かい事はお盆の時、実家に帰って聞いてみるとします。

2009/07/27 鎌倉の土岐頼貞館

題名:鎌倉の土岐頼貞館の地名が注目されました
名前:澤源 2009/07/27(月) 06:58 No.14 操作

鎌倉在住の清田さんから嬉しい暑中見舞いが届きました。
鎌倉市の進めている「第3回景観づくり賞」に清田家などの共同住宅の壁面看板に【KARAKASA-CHO/UMBRELLA HOUSE】とデザインした金属の切り文字を掲げ、その下に掲示板を取りつけられました。

実は、十年程前に鎌倉にあった土岐頼貞屋敷跡を探しに美濃源氏史跡探訪ツアーの下見に行った際、文献に出ている「唐笠辻子(からかさずし)」が現在の大町のどの辺りになるか近所のミニコミ紙を発刊している方を紹介されましたことから、現在まで親交が続いています。尚、近世には鎌倉市大町の後にあった傘町(からかさちょう)が現在では使用されず、美濃源氏フォーラムが問い合わせたことから、ご自分の通信物には「字傘町」を付加してみえます。

今回の「鎌倉市第3回景観づくり賞」の受賞に土岐頼貞屋敷跡が貢献でき何よりでした。然し、残念ながら土岐頼貞屋敷跡が現存するわけでもありませんが、その代わりに屋敷跡があった「唐笠辻子」が一目で分かるようになりましたので、今後は誰でも何時でも一人でも「美濃源氏史跡探訪巡り」が出来る事でしょう。鎌倉朝日のミニコミ紙と清田編集長に心よりのお祝いと、また御礼を申し上げます。

尚、鎌倉市大町は鶴岡八幡宮から海岸線の南に下り、途中で左の東へ曲がった方にありますので、鎌倉へ行かれた田折りには、是非とも【KARAKASA-CHO/UMBRELLA HOUSE】を訪ねてみて下さい。

2009/07/21 岐阜新聞の取材

題名:岐阜新聞の取材でした。  名前:澤源の執事 2009/07/21(火) 23:07

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岐阜新聞  2009年(平成21年)7月20日 月曜日 県内総合 20
土岐頼芸の実像探る 揖斐川町で郷土史研究家らシンポ
人間関係などテーマに最後の美濃国守護・土岐頼芸の生涯を検証する「第2回土岐頼芸シンポジウム」が19日、揖斐郡揖斐川町谷汲上長瀬の上長瀬コミュニティーセンターで開かれ、郷土史研究家らが意見交換した。シンポジウムは、瑞浪市の郷土史研究団体美濃源氏フォーラムの主催。2003(平成15)年以来の開催で、約100人が参加して同町谷汲岐礼にある頼芸の墓を参った。シンポでは、日本家系図学会会長の宝賀寿男さんが「土岐頼芸をめぐる人間関係」をテーマに基調講演。土岐氏の家系図は家督を継ぐものが次郎を名乗ることから、資料によって混同が多く、婚姻や親類関係を整理する必要性を説き「複雑な人間関係を理解できれば、歴史を探る楽しみは増す」と語った。この後、宝賀氏や頼芸ゆかりの人ら5人をパネリストに、頼芸の相続争いや画家としての評価、戦国時代の美濃などについて検証した。

2009/07/20 第2回土岐頼芸シンポジウム大盛況

題名:土岐頼芸シンポジウム大盛況  名前:澤源 2009/07/20(月) 09:51

昨日は、梅雨明けもしていないぐずついた天候にも関わらず、谷汲の岐礼と長瀬まで96名の方々に御参加賜りまして、大盛況のうちに幕を閉じる事が出来ました。

午前10時に集合後、土岐頼芸の墳墓に参詣し、続いて菩提寺の法雲寺にも行きました。前半だけでも42が土岐頼芸をお慰め致しましたが、私も瑞浪の造り酒屋の若葉で仕込んでいる「青春美濃源氏」を持参し、頼んであった「鮎の塩焼き」と一緒に献上し、酒は鱈腹召し上がって頂きました。
午後からは、日本家系図学会会長の宝賀寿男先生によります基調講演「土岐頼芸をめぐる人間関係」を45分聴講し、休憩後は【土岐頼芸にも、もっと陽をあてよう】をテーマとしてシンポジウムを開催しました。

澤源がコーディネーターを務めましたが、宝賀寿男先生にもパネリストに入って頂き、その他忠臣山本数馬子孫の山本盛美氏と池田町禅蔵寺住職の土岐正道氏、織田信長家臣団研究会会員で岐阜県歴史資料館職員の吉田義治氏、最後に歴史伝承フォーラム事務局の林正啓氏で行いましたが、終了予定を30分遅らせるほど活発な意見が飛び出しました。

まず最初に、土岐頼芸に対する思いと現代人に例えると誰になるかを聞きました。
続いて、土岐頼芸の呼び名について聞きまして、最近の研究成果から“よりのり”に統一しようとの話しに展開させるはずが、地元谷汲では岐阜県教育委員会の指導により五年前に“よりあき”を使い始めた事の発表があり、今後の研究を進める事にしました。
その後、山本数馬子孫の盛美さんからは先祖から伝え聞いてきた話しの中で、特に斎藤道三に終われた後先ずは揖斐のお寺に鷹の絵を持参し匿わられ、その後に越前から始まる逃避行になったと発言がありました。
土岐の鷹絵になりましたので、禅蔵寺住職の土岐正道さんから「土岐の鷹絵の解説」があり、頼芸の芸術文化性を話し合いました。
そして、禅蔵寺には頼芸より三代前の持益の墓があり、頼持から始まる家督継承争いについて意見が続出しました。

まず宝賀さんからは、持益の子となる成頼の系統は諸説紛々なれど系図学的には光俊の更木氏であろうと力説。
また、林さんからは頼芸の兄である盛頼・政頼・頼武・頼純は同一人物として、岐阜県の県史見解に真っ向から異を唱えられました。
ついては、吉田さんはその岐阜県の資料集めと保存の一番の関係者ですから、今後の研究活動に活かしていきたいとの感想を貰えました。
そして、逆に流浪した土岐頼芸が見た30年の戦国時代を頼芸になったつもりで各パネリストに語って頂きましたが、宝賀さんからは“この切り口は面白いよ”と言われましたので大感激でして、参加者に終了を遅らせる事を御了解賜り続行した次第です。

皆さんからは、日本の戦国史の謎は、ひょっとすると土岐頼芸が見て回った記録があれば解決できるのではの観点として、岐阜県内の更なる資料発掘と研究を進め、頼芸の芸術文化性からの再調査を進め、日本の系図研究者からも土岐氏だけでは見つけれない情報を提供して貰う必要性が、浮き上がって参りました。
その他、会場からの意見や質問を受付ましたところ、樽見鉄道を守る会の事務局長が発言頂け、今後に土岐頼芸の墓を巡るウォーキングを検討してみたいとの有り難い提言に会場内に来賓でみえていた、地元区長を始めとする20名は嬉しそうに聴いておられました。
私が、まとめとしたのは土岐頼芸から観た戦国時代を「土岐鷹の夢」と言う時代小説にしたいので、本日のシンポジウムの内容と、そして平成15年の第1回土岐頼芸シンポジウムの内容を、共に活かせる場になるのでは、として結ばして頂きました。
朝の7時から夜の7時までの、土岐頼芸シンポジウムの準備と本番と反省会でした。

尚、現在衆議院選挙の準備にも追われており、土曜日からのシンポジウム準備は結局徹夜作業となりましたが、間に合いながら会場へ向かう道中で朝飯購入の為に立ち寄ったコンビニで、エンジンがかからなくなるという大事件もありましたが、見事最終集合時間には間に合うという、まあ最期まで土岐頼芸公に試されもした1日でありました。

2009/07/06 第2回土岐頼芸シンポジウム

題名:参加予定が七割までになりました  名前:澤源 2009/07/06(月) 01:16

107月4日5日と土岐市講座と大野講座が続きまして、両日で第2回土岐頼芸シンポジウムの参加予定者が70名となり、後は谷汲の来賓の確定程となってきましたので、矢張り皆さんの土岐頼芸に対する思いは生半可なものではないようです。
ついては、今朝9時に自宅を出てから土岐頼芸公の墓参りをしてから菩提寺である法雲寺の墓石にも拝謁してきました。
紫陽花がよく似合う谷汲の東春庵跡です。

2009/07/04 関西土岐一族の集い準備会案内

題名:土岐さんに58通を発送  名前:澤源 2009/07/04(土) 07:12

昨日、郵便局に「美濃源氏フォーラム-関西土岐一族の集い」準備会案内を投函してきました。

滋賀県4通・京都府8通・大阪府22通・兵庫県13通・奈良県1通・和歌山県10通の合計58通でしたが、
さて何人が準備会たる発起人に参加頂けるか楽しみです。

東京での関東土岐会には幹事が10名程ですから、何とか関西も同数となればと願っています。

勿論、関東と関西では世帯数が違うため関西2府3県の約400名の土岐さんから、「美濃源氏フォーラム-関西土岐一族の集い」に関東と同じぐらいの70名程での出発は難しいかもしれませんが、きっと反響は大きいと思われますから50名位にしたいものと、密かに願っています。

そして、何せ土岐一族明智光秀に関わる事跡のエリアが関西は多いので、光秀以外の当然新しい発見に結びついてゆくことでしょう。

皆様、ご期待下さいませ!!